『セブンカラーズ』第一章:第三話(契約)

セブンカラーズ

 丁字路で詩織と別れた海翔は路地を1人歩いていた。住宅街の中を格子状に広がるこの路地は、普段から人気が少ないのだが最近は特に少ない。海翔がよく買い物をするコンビニはこの近辺では有名な不良の溜まり場なのだが、最近は不良が溜まることも無くなったらしい。殺人という反社会的な事件が、未成年の不適切な外出を抑制しているとはなんとも皮肉な話である。

 グシャッ。パリッ。ザッ。ジャク。

 海翔が考え事をしながら歩いていると前方に位置する十字路の、右側の路地から奇妙な音が聞こえてきた。始めは気のせいだと思ったのだが、耳を澄ますと次はグシャッという何かを潰すような音が聞こえてくる。

「何だ? この音」

 こんな時間に一体何を? 海翔は不思議に思ったが、この十字路を真っすぐ通過しないと家に帰れないので恐る恐る十字路に近づき、こっそりと音のする方を覗いてみた。

「……っ!」

 目の前に広がっていたのはそこら中に肉片が転がっている恐らく女性と思われる死体。体の至る所が剣の様なもので強引に潰され、身元が判明するかも分からない無残な状態だった。

 そしてもう1体。あの存在、物体を如何に表現したいいのだろうか。全身が真っ黒で、輪郭はなぜかぼやけている。怪しく発光している双眸からは少しの生気も感じられない。そして右手に握られた、分厚い剣からは女性の物と思われる血液が滴っている。

 その光景を見て海翔は反射的に口を覆ったが、遅かった。海翔が発した少しの声を探知したのか、黒い化け物はゆっくりとその顔を海翔の方へ向けた。

 あいつはヤバい! 生存本能が強くそう訴えたのか、海翔は化け物から逃げるように反射的に走り出した。急に走り出したからなのか、恐怖からか、もしくはその両方か。海翔の心臓はこれまで感じたことのない速度で脈打っている。

 全力で走りながら後方を振り返ると、黒い化け物がのそのそと追ってきている。不思議なのは動き自体はのそのそなのに、海翔を追いかけてくるスピードはどんどん上がっているのだ。海翔は運動が特段得意ではないが、平均程度の脚力は持ち合わせているはずだ。それなのに黒い化け物はのそのそとした動きのままで、ずんずん海翔に追いついてくる。

 化け物を撒くために路地を右へ左へ曲がるが、化け物は少しの迷いも見せずに海翔を追いかけてくる。

「ハァ、ハァ。……ッ! 全く……ついてないね」

 走るのに夢中になってしまって気づけば行き止まりの方へ来てしまった。目の前に立ちふさがる壁は、海翔1人では到底越えられそうにない高さだ。突如海翔を襲った理不尽に、たまらず壁にもたれかかり座り込んでしまう。

 座り込んでしまった海翔に、黒い化け物は相変わらずのそのそと近づいてくる。そして十分に近づいたのち、赤黒く変色した血がべったりとこべりついている剣を振り上げる。

 あぁ、この剣が振り下ろされたら僕は死ぬのだ。自分でも驚くほどに恐怖心もなければ後悔もない。案外自分は安っぽい人生を送ってきたのだなと自嘲からか笑いがこみ上げてくる。死ぬ瞬間にして初めて知った。人間は死ぬとき笑いがこみ上げてくるのか。覚悟を決めて目を瞑る。

 あぁそういえば1つだけ後悔がある。明日遠藤さんと学祭の準備をするって約束してたっけ。でもまぁ僕はここで死ぬんだから仕方ないか。ごめんね遠藤さん。

 ザシュッ! 海翔が覚悟を決めた時、突如吹き乱れた強風に乗ってくるように、斬撃音が響き渡る。

「よぉ、俺を呼んだのはお前か? まぁどっちでもいいか。おいお前俺と契約しろ。と言っても拒否権はないんだがな」

 ぶっきらぼうな声が前方から聞こえてくる。恐る恐る目を開けるとそこには天使が立っていた。普通は目の前に立っている男を見て”天使が立っていた”なんて思いもしないだろう。だが目の前に立っている男は紛れもなく天使だったのだ。

 文字通り人間離れした美形の顔。身にまとっている赤の服装は、淡くも美しく輝いている。そして最も目を引かれるのは赤く光り輝く翼だ。この美しい翼を見たら、誰だってこの男は天使だと思うだろう。

 突如現れた天使に窮地を救われるという衝撃的な体験のせいで全く話が入ってこなかったが、今目の前の天使はなんといったのだろうか。絶対聞き逃してはいけないところを聞き逃してしまった気がする。

「ええと……」

「おい! 時間がないんだ、早くしろ!」

 天使が持つ神秘的な雰囲気に圧倒され、茫然としていた海翔を急かすように天使は剣を持っていない左手を伸ばす。

「あら、クロウ。追いかけっこはもう終わりかい?」

 空からもう1人天使が優雅に降りてくる。海翔の前にいる天使が赤を基調としているのに対し、今降りてきた天使は紫を基調としている。そして、肩に掛けるように持っている鎌からも想像がつくように、その外見は死神のようだった。

「チッ、もう来たのかマカイズ。悪いが今お前に構ってる時間はねえんだよ、失せな」

「そんな冷たいこと言わないで、あたしともっと遊ぼうじゃないか!」

 紫の天使―マカイズは鎌を構え突っ込んでくる。赤の天使―クロウは手にしている剣で鎌を受け止めるが、剣にはひびが入ってしまう。今にも根元から折れてしまいそうだ。

「相変わらず話が通じない奴だな、このサイコ野郎め」

「あんまり褒められると照れちまうよ!」

 マカイズはさらに力を込めクロウを押し込む。鎌を何とか受け止めている剣もいつ折れてもおかしくないくらい次々とヒビが増えている。海翔からは背中しか見えないが、かなり苦しそうに見える。

「あんた今”契約”しようとしてただろう? そんな事簡単にさせると思ったのかい?」

「いい加減しつこい! 邪魔すんじゃねえ、どいてろ!」

 剣が折れるのと同時に、クロウは鎌を避けつつマカイズを蹴飛ばす。

 「手を伸ばせ、死にたくなかったらな!」

 クロウは必死の形相で海翔へ手を伸ばす。その表情に気圧され思わず海翔も手を伸ばす。今この手を取らなければ死ぬよりも後悔する。そう心が訴えている。

「おい、待ちな! ック!」

 海翔とクロウの手が触れ合った瞬間、マカイズの声をかき消すような眩さが海翔を包んだ。その眩さに海翔は反射的に目を瞑ってしまう。

「ここ……は?」

 海翔が目を開けると、そこは真っ白な空間だった。境界線が見えないほど、どこまでも広がる真っ白な空間。目の前にはクロウが立っている。

 「なるほど……海翔ってのか。これは餞別だ、やるよ」

 クロウはそう言うと、手のひらに出現させた重厚そうな本を海翔へ投げる。

「うおっと」

 その本は不思議で、慌ててキャッチした海翔の手の数センチ上をふわふわ浮いている。適当にページを開くと、15㎝程の大きさの銀色に輝く不思議なカードが収納されている。そのカードには剣やライフル銃、槍、盾など様々な武具が彫り込まれていた。

「これは? ええと……クロウ?」

 海翔は目の前に立っているクロウに問いかける。

「ああ、俺の名前はクロウだ。よろしくな、海翔。だが忘れるなよ。お前が俺を使うんじゃなくて、俺がお前を使うんだからな」

 クロウはぶっきらぼうな言い方で海翔へ手を伸ばす。海翔も慌てて手を伸ばし2人は握手をする。

 すると真っ白の世界が上から溶けていくように、あの路地へ景色が変わっていく。

「時間が無い、実戦で覚えろ。剣のカードを1枚取れ」

 クロウが言うように本から剣が彫り込まれている銀色のカードを取り出す。

「おや、契約は阻止できなかったか。だけど、そんなド素人!」

 マカイズがクロウを見ると再び突進してくる。

「あとはそのカードを使いたい。そう宣言するだけでいい、早くしろ!」

 そう言い残すとクロウもマカイズへ突進していく。

「ええ、ちょっ! い、インストール!」

 カードを使うときは何かしらの宣言をするのがお約束だ。海翔は反射的に昔見たアニメのセリフの様にインストールと宣言した。するとカードは粒子となり消滅し、クロウの手に細身の剣が出現した。

「フッ、上出来だ!」

 正面からクロウの剣と、マカイズの鎌がぶつかり合う。すぐにヒビが入ってしまった先ほどとは違い、今回は少しのヒビも入っていない。クロウも押し負けている様子がない。

「クッ、魔力量が急激に! やっぱりまずかったね……!」

「同じ土俵に立った瞬間これか!? おらぁ!」

 さっきまで苦戦していたのが嘘の様に戦況はクロウが押している。素人目だが戦闘力自体はクロウの方が高いのかもしれない。

 クロウが切り払ったのをマカイズは後方に大きく飛んで距離を取る。そしてその勢いのまま上空へ飛び上がる。

「おい、逃げんのか!」

「戦略的撤退だよ。またね、クロウ。また遊んであげるよ」

 安いクロウの挑発に乗る事もなく、マカイズはそのままどこかへ飛び去ってしまう。クロウは小さく舌打ちをして、右手の剣を消滅させた。

「えと、クロウ。今のは一体……。さっきの黒い化け物とか、天使とか……」

「話は後だ。余計のが寄ってくる前にここを離れるぞ。どこでもいい。近くに隠れられる場所はあるか?」

 この辺りで隠れられる場所か……。1つ思い当たるふしが無い事もないけれどいいんだろうか?

「えと、僕の家でよかったら来る?」

「ああ、案内しろ」

 背中で大きな存在感を放っていた翼は赤の粒子となって消えた。するとクロウは道も分からないはずなのにスタスタ先に歩いて行ってしまう。

「あ、ちょっと待って!」

 海翔は慌ててクロウの背中を追いかける。

 別にクロウを家に招き入れるのは構わないのだが家路の途中、すれ違う人全員に2度見されるのは勘弁してもらいたかった。翼を消せるのならその目立つ服装もどうにかならなかったのか。 

 明日からのご近所さんからの視線が心配である。ついさっき黒の化け物に襲われて命の危機に瀕していた人間の心配としてはかなり平和な心配であるが、まぁそれくらい心が落ち着いたという事だろう。

 ご近所さんの視線や、黒の化け物など心配は山積みだが、なによりも僕が一番ホッとしたのは、遠藤さんとの約束をきっちり守れそうだという事だった。約束を破る。これが僕の中で一番嫌なことだからね。

 そんな事を考えながら海翔は路地を歩く。いつもは一人の帰路を後ろにクロウを連れて。

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