昨日死んだように眠った海翔だったが、今朝は何の問題もなくいつも通りの時間に目が覚めた。案外図太い自分の神経に驚きつつも、リビングへ降りる。
「おはよう、母さん」
いつも通りリビングへ入る。いつも通りの朝食と、いつも通り忙しそうな母親。いつも通りの海翔家の朝食風景である。ただ一つ、当たり前のようにクロウが朝食を取っている事を除けば。
「何で普通に君もご飯食べてるの?」
「そりゃあ食べるさ。俺だって一応家族の一員だからな」
クロウは食パンを食べながら興味なさげに言った。ちなみに服装は昨日の天使っぽい派手なものではなく、そこら辺にいるような普通の大学生っぽい服装だった。
「それじゃ行ってきます。海翔もお兄ちゃんを見習って早く準備しなさいよ」
母親が仕事に出かける。毎朝きちんとした朝食を用意してくれるし、身だしなみに隙は無い。身内びいきかもしれないが、本当に立派な母親だと思う。
「ってえ……? お兄ちゃん?」
母親への感謝気持ちで心がいっぱいで聞き逃しそうになったが、今大変なことを母親は言い残していった気がする。クロウの方を見るとニヤニヤしながら海翔を見ている。
「これくらいはどうにかしてやるって言ったろ? これからよろしくな、弟」
「……う、うん。あ、それより母さんは大丈夫なの?」
「簡単な暗示をかけただけだ。俺が死ねば全て忘れるようにしてるから心配するな」
何とアフターフォローも万全らしい。粗暴に見えるが仕事は丁寧だ。突然増えた天使のお兄ちゃんに、困惑しながらも朝食を済ます。
「それじゃあ、行ってきます、父さん」
仏壇に手を合わせてから出かける。
「あ、今日の夜。忘れんなよ!」
「うん、できるだけ早く切り上げるよ!」
今日も学祭の準備がある。準備期間も後半戦だ。始めは乗り気でなくても多少はやる気も出てくるものだ。
通学路を歩きながら空を見上げる。今日も雲一つない良い天気だ。そしていつも通り通学中に慎吾と、詩織に驚かされ肝を冷やすという嬉しくないイベントをこなしながら学校へ向かった。
本日の授業もそつなくこなし、今は放課後。海翔にとってはむしろ今からが本番だ。
「という訳でよろしくね、遠藤さん」
「うん、こちらこそよろしく。頑張ろうね」
昨日は小物系を重点的に終わらせたので、今日は壁紙などの大道具系だ。海翔が必死でイメージした「メルヘンな森の中」のスケッチを元に作業を進めていく。
詩織には悪いが、海翔は結局一人でやった方が効率的だろうと思っていた。しかし、想像以上に詩織は手際が良い。海翔が指示を出すと指示通りのことは勿論の事、次の工程を予測して行動してくれる。正直舌を巻く。
「ふぅ、今日はこれくらいでいいかな」
時計の針は六時半を示していた。作業量としてはむしろ昨日よりも多いくらいなのだが、一時間以上も早く終わるとは。今日は作業と並行して片づけもしていたので、教室も綺麗なままだ。本当に詩織には頭が上がらない。
「お疲れ、中川君」
詩織がロッカーに箒を戻し、海翔の方へ歩み寄ってくる。
「本当にありがとう、遠藤さん。もう感謝してもしきれないよ」
「ううん、気にしないで。私がしたくて、してることだから」
面倒くさい準備を率先して手伝ってくれるとは、なんて良い子なのだろう。今度何かお礼をしないと。海翔は強く心に誓った。
「さ、警備員さんに見つからない内に帰ろうか」
最後に今日の成果をしまって、教室を出る。よく知らないが戸締りは夜、警備員がしているらしい。
真っ暗な廊下を二人で歩く。今日も月明かりが海翔達を照らしている。もしも誰かに見つかったら面倒なので、小さい声で話ながら歩く。そして今日も誰にも見つからずに昇降口までたどり着けた。
くつを履き替え校門へ二人で歩く。ここまで来るともう大丈夫なので声量も普通の大きさだ。
「あ、校門の前に誰か立ってる。外国の人かな」
「げっ……」
校門の前に立っていたのはクロウだった。遠くからでも分かるくらい不機嫌そうな顔で立っている。
「道に迷ってるのかも、ちょっと行ってくるね」
「あ……待って……」
海翔が止める前に詩織は走り出してしまう。これはまずい。かなり不機嫌そうな今のクロウに詩織を会わせる訳にはいかない。面倒な事になるのは日の目を見るより明らかだ。
「あの、すいません。何かお困りですか?」
「あぁ? 何だお前、あっち行ってろ」
クロウは猫を追い払うようにシッシッと手を振っている。初対面でいきなりこんな対応をされるとは思ってもいなかったのか、詩織は困惑している。
「ごめんね、遠藤さん。別に悪気があった訳では無いと思うんだ。クロウ。どうしたの、こんな所に」
急いで二人の所へ駆け寄る。
「どうしたもこうもねえよ。おせえから迎えにきてやったんだよ」
「遅くなるって言ったのに……」
クロウはなぜかえっへんと偉そうにしている。海翔は今朝遅くなると言ったはずだが、どうやらクロウには伝わっていなかったらしい。
「ええと、中川君。こちらの方は?」
知り合いが全く知らない外国人風の男と親し気に話しているのだ。疑問に思って当然だろう。
「あ? 俺はこいつのあに……」
「親戚なんだ! 遠い、遠いね!」
クロウは後ろでブツブツ文句を言っているが、知ったことではない。兄貴だなんて名乗られたらうちの家庭環境が複雑だと思われてしまう。
「そうなんだ。遠藤詩織です、よろしくお願いします」
「ふん、クロウだ」
詩織の丁寧な自己紹介に、またなぜか偉そうにクロウは返す。こいつは偉そうにしないと死ぬ病気にでもかかっているのだろうか。
「おい、海翔行くぞ」
クロウが勝手に歩いて行ってしまう。それも海翔たちの帰路とは逆の方向へ。
「ごめんね、遠藤さん。気を付けて帰ってね、それじゃ!」
「うん、頑張ってね」
慌てて駆けだす海翔に、詩織は微笑みながら手を振っている。
(って頑張れ? あの面倒くさそうな奴の相手を頑張れということだろうか。まぁいいか)
昨日からずっと夜は空けておけと言われていたが、そう言えばまだ何の用事か全く聞いていない。クロウが言う事なので、全く想像がつかないがまぁ流れに任せるといった感じだろう。
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